2016年12月27日火曜日

北野天満宮(1-079、京都府京都市上京区馬喰町)

北野天満宮は京福北野線の終点である北野白梅町駅から徒歩5分のところにあります。
北野天満宮は菅原道真公(菅公)をお祀りした神社で、祭神は菅原道真公、中将殿(道真公の子息)、吉祥女(道真公の夫人)です。「北野の天神さま」と呼ばれています。
平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)や近江国比良宮の神主神良種(みのよしたね)、北野朝日寺の僧最珍(さいちん)らが、当初に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。
その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の信号が認められました。~北野天満宮参拝の栞より
鳥居をくぐって楼門、さらに中門(三光門)を抜けると国宝に指定されている本殿です。慶長十二年(1607)に豊臣秀頼が造営したもので、秀吉からの継続事業の一端であったそうです。
菅原道真公は学者出身の政治家として手腕を発揮して異例の出世を重ね、昌泰二年(899)右大臣に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括します。ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰四年(901)太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。
菅公の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められるようになりました。~同
 菅原道真を題材にした古典芸能では、謡曲「雷電」や人形浄瑠璃・歌舞伎の演目である「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)が有名です。
天神さまは古くは「雷神」(らいじん)と結びつき、神鳴(かみなり)さまとおそれられ、稲妻・稲光の語から雨をつかさどる「火雷天神」(からいてんじん)として、豊年を祈る人々の信仰を集めてきました。~同
北野天満宮の一の鳥居内東側広場は右近衛府の馬場跡で、鹿島の神職が右近の馬場の桜を眺めようと訪れた謡曲「右近」の場所です。

右近衛大将でもあった道真は好んでこの馬場に臨み、また清盛がこの地で催された馬市で名馬を見立て愛用した、とも伝えられています。

中門(三光門)

三光門の立札

本殿

右近馬場の駒札

右近馬場跡




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