2017年9月18日月曜日

鹿島神宮(5-055、茨城県鹿嶋市宮中)

鹿島神宮は常陸国一宮で、古文書では神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられています。近代まで「神宮」と呼ばれていたのは、伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみだそうです。

日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、武の神として古くから皇室や藤原氏、後には武家からの崇敬を受けてきました。
鹿島神宮の本殿が北向きに建てられているという特徴があります。これは、鹿島神宮の神様の勢力が未開の地であった東北に伸びるようにするためで、その後、順調に東北へ勢力を伸ばしたことから、鹿島神宮は日本建国の節目地点とされています。そこから「物事の始まり」にご利益がある神社とされ、「鹿島立ち」の語源となりました。~茨城県観光物産協会HPより
謡曲『右近』『放生川』のワキは「 そもそもこれは鹿島の神職(筑波)の何某(なにがし)とはわがことなり」と名乗ります。

青木実『謡蹟めぐり』では、古川久氏の研究として大倭二十四孝の「平の桜子」に、「謡曲『桜川』の桜子が人商人と共にこの鹿島の宮に詣でた時、丁度来合わせた磯部寺の門主の目にとまり、ただびとならず由ありげに見えたので、黄金五十両、富士の綿一千斤を人商人にとらせて、桜子を磯部寺に伴い帰った」という由縁があることを紹介しています。

境内には、鹿園があります。奈良時代に御祭神の分霊を乗せ、鹿島立ちをし、奈良の春日大社に祀った「神鹿」で、奈良公園の鹿の発祥は鹿島だそうです。

奥宮のさらに奥に「要石」(かなめいし)があります。地震おさえの石といわれ、地震を起こす大なまずの頭をおさえていると言われています。なお、桜川磯部稲村神社にある要石は大なまずの尾を押さえているそうです。⇒ 桜川磯部稲村神社

境内は緑豊かなので木陰が多く、夏でも比較的涼しく参拝ができます。

大鳥居

案内板

楼門

境内案内


本殿・拝殿

奥宮

奥宮

要石の標柱

要石

要石

御手洗池

御手洗池
境内案内図

親鸞上人旧跡





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